†お山の独り言†
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どもども。(´ω`)
みんみん、むしむしの中、夏バテせず過ごせてますか皆さんっ
あたしゃ、クーラー無しじゃ無理になっちまったぜ。
全く、ヤワになったもんだ。
+++
最近、語ってばっかし。
え?そろそろ飽きてきた?
そう言いなさんな。
結局、今日も語るのです。
「死」ってさ、あたし、分かってたつもりだったのだよ。
漫画でも、本でも、映画でも、ドラマでも、音楽でも、
色んなところで、人の死を表現してたりするじゃん?
「ああー、人が死ぬってこういうことなんだろな」ってそれなりに分かってたつもりだった。
そういうのを見たりして、それなりに泣けたりしたし。
しかし、やっぱりあれですね。
実際に体験するのと、何かを通して見るのとでは全っ然違うね。
前回の記事では「死後の世界?んなもんねーよっ」とほざきましたが、
やっぱし、信じたくなっちゃったもんね。
もしも、死後に世界があるのなら、そこで幸せに暮らしててほしいなあ。って。
つくづく、人の身勝手さを感じたよ。うん。
死って考えれば考えるほど、深いもんだと思った。
どこから、死んだことになるんだろうとか。
心臓が止まったら?ほら、でも今、脳死とかで話題が出てるでしょ?
病院だと、死亡確認の時間を告げられる。
それが、その人の死んだ時間になるみたい。
でもそれは、遺族が確認した時間であって、実際、息を引き取っていたのはそれより前なんだ。
・・・・不思議だね。
あたしがよく、昔から考えてたのは、「死んだら今ある意識はどこへいくんだろう」っていうの。
心臓は心とは違うじゃん。これは、ただのポンプ。
脳がはたらいてることによって意識ってあるのかな。
たとえば。
死んで、体に意識みたいなのが残ってたとして、火葬されてしまうじゃない?
んで、灰とかが空とか海とかに舞っていって、なんらかの動物の体の中に入っていったりしたら、その中でこの意識は生き続けるんじゃないかって考えたこともある。
たとえば。
「生まれ変わり」なるものがあったとして、前の記憶とかがあったとしたら?とか考えたりもしたり。
+++
ほらね、人間、体験してないことは分からないから、どこまでも想像は広がるわけよ。(笑
あたしはそんな果てしない想像が好きだったり。
んで、そんなことをつらつら書いてるわけさ。
・・・完全な自己満ですね、ごめんご。
まあ、でもここは「お山の独り言」なわけなんで。許してくれ。
今日はこのくらいにしときまふ。
では。
†修†
何かそういわれると嬉しいな。(笑
まあ、テキトーに暇なとき読んでくれ(´ω`)
そんなにおもしろいことかけないかもだけど。
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